【論文レビュー】社会正義教育における教授法の基盤

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はじめに

今回は”Teaching for Diversity and Social Justice”に収められているMaurianne Adamsの”Pedagogical Foundation for Social Justice Education”(「社会正義教育における教授法の基盤」)という論文から社会正義教育の発展の系譜を示した部分に焦点を当ててまとめます。”Teaching for Diversity and Social Justice”は社会正義教育の基本文献をまとめたハンドブックで、この分野を扱う海外の大学院の授業でもよく教科書に使われるものです。今回扱う”Pedagogical Foundation for Social Justice Education”という論文は前半に社会正義教育の発展の系譜をまとめており、後半は教授法(Pedagogy)としての社会正義教育の基本原則を整理しています。後半も大切なのですが、今回は社会正義教育の大きな流れを把握するために前半のみにフォーカスします。なお、”Teaching for Diversity and Social Justice”は現在第4版まで出版されていますが、私の手元にあるものが第3版のため、第3版の内容を元に記述します。また、補足説明しないとわかりにくい部分もあるので、適宜補いながら要約します(そのため、元の記載に忠実なまとめにはなっていません)。

社会正義教育の見取り図

Adamsは社会正義教育の流れを大きく3つに整理しています。

  1. 社会運動の中の意識啓発(consciousness-raising)から生まれた流れ
  2. 社会心理学の枠組みの中で発展した社会的学習(social learning)の流れ
  3. 認知発達や社会的アイデンティティ発達の理論やモデルの発展の流れ

社会運動の中の意識啓発から生まれた流れ

まずAdamsは公民権運動、反植民地運動、女性運動といった社会運動の中に埋め込まれた意識啓発(consciousness-raising)を「個人的なものを政治的なもの」にする重要なツールの一つとして取り上げます。社会正義教育というものは社会運動のダイナミズムの中で、人が政治化していく意識啓発のプロセスの中から立ち上がってきたものであるというのが大事なポイントであると言えます。このような社会運動の中から生まれた社会正義教育の分野としては、例えばフェミニスト・ペダゴジー(Feminist Pedagogy)があり、大きな研究・実践の流れとなっています。

また、アメリカの社会運動と並行して展開したブラジルの教育者パウロ・フレイレの実践についても言及されます。フレイレはブラジルの宗教・民衆運動に参画し、そのプロセスの中から”Pedagogy of the Oppressed”(被抑圧者の教育学)と彼が呼ぶ実践を作り出しました。民衆が自らが置かれた抑圧状況に気づくプロセスを作り出すフレイレの手法はブラジルで広く展開され、南米やアフリカ諸国など多くの国々で広がりました。そして、フレイレの影響はアメリカにも及び、批判的教育学(Critical Education)やクリティカル・ペダゴジー(Critical Pedagogy)という分野を形成するに至ります。

米国の社会運動の中から生まれたフェミニスト・ペダゴジーなどの社会正義教育のあり方とフレイレの影響を受けた批判的教育学やクリティカル・ペダゴジーは現在、相互に批判を繰り返しながら発展を続けています。Adamsはこのダイナミズムを社会正義教育の発展の大きな流れの一つとして取り上げています。

社会心理学の枠組みの中で発展した社会的学習の流れ

次にAdamsはデューイに端を発する社会心理学の中で発展した社会正義教育の系譜を整理しています。デューイと社会心理学は一見繋がりが見出しにくいですが、デューイはキャリアの初期においては心理学者としても著名であり、社会と個人との交互作用を重視した考え方を提示していました。社会心理学の領域では『人間性と行為』といった著作も著しています。このデューイの影響を受けた社会心理学者達がその研究・実践で立ち向かったのが人種的隔離というアメリカの現実でした。社会のあらゆる領域に存在した(そして今なお存在する)人種的隔離を取り除き、人種的な融和を目指すための研究が社会心理学の領域では展開され、それが社会正義教育の一つの系譜となったのでした。

特に重要なのはオルポートとレヴィンです。オルポートは社会心理学における偏見研究の金字塔である『偏見の心理』を著し、接触仮説という理論を提示しました。接触仮説はその後、どのような接触条件によって「我々」と「彼ら」という境界が消えて偏見的な態度が減るのかが追求され続けています。また、インター・グループ・ダイアローグと呼ばれる主に大学キャンパスで展開される人種融和を目的とした学習プログラムにその理論が反映され、展開されるに至っています。一方、レヴィンはグループ・ダイナミクスについて研究を展開したことで知られています。ラボラトリー・トレーニングと呼ばれるロールプレイを開発し、人種間のコミュニケーションにおいて「他者の靴を履く」ことによる学びを研究しました。

認知発達や社会的アイデンティティ発達の理論やモデル

最後に、Adamsは認知発達や社会的アイデンティティ発達の理論やモデルの発展を社会正義教育の流れの一つとして取り上げます。社会正義教育においては社会がどうあるかについての自分の信念を疑い、それに伴う認知的不協和と付き合いながら深い振り返りを行うことや、自分の置かれている社会的な位置(ポジショナリティ)を問い直し、自らの社会的アイデンティティを検討することが求められます。認知発達や社会的アイデンティティ発達の理論やモデルはそのような時に有効なツールとなります。

ここでは一つ一つの理論を詳しく説明することを避けますが、Adamsは認知発達の理論としてロバート・キーガンの理論やバクスター・マゴルダの理論を紹介し、社会的アイデンティティ発達の理論としてクロスの黒人のアイデンティティ発達の理論などを紹介してそれぞれの概要を広く浅く説明しています。Adams自身はほぼ説明していないのですが、おそらく大切なのはこれらの理論が大学のキャンパスを舞台に発展したということではないかと思います。認知発達の研究は大学生を対象に伝統的に展開されていましたが、特にアファーマティブ・アクションの結果、大学のキャンパスの多様性が向上したことで社会的アイデンティティの研究のニーズが向上しました。その社会的アイデンティティの研究と認知発達の研究が交錯して発展しているのが現在の状況だと言えます。

念の為、一点付言しておくと、このセクションでAdamsはヴィゴツキーの理論も取り上げています。ただ、ヴィゴツキーの理論はこのセクションで扱われる他の理論と大きく性格が異なるように思えます。本来ならば、4つ目の流れとして扱われても良いものだと言えるでしょう。

最後に

ここまで見てきた通り、社会正義教育は①社会運動のダイナミズムの中から生まれたもの、②人種的隔離への対策として社会心理学の研究の流れから生まれたもの、そして③多様性が向上していく大学キャンパスの中でのニーズから生まれたものの3つの大きな流れがあります。また、①は哲学的な研究ですが、②や③は実証的・経験的な研究であり、研究のスタイルが大きく異なります。このような個別に論じられうる3つの流れを社会正義教育という大きな括りで捉えてくれていることにAdamsのこの論文の価値があると私は感じました。

社会正義教育という言葉を使う時、一番にイメージされるのは①の社会運動のダイナミズムの中から生まれたもの、特にクリティカル・ペダゴジーやフェミニスト・ペダゴジーなどだと思います。この分野は主に北米で長年研究されており、様々な研究が展開されています。私は過去にカナダに留学して①の領域について学んでいたのですが、現在は②と③のような実証的な研究を進めています。②や③に軸足を置きつつ、そこから得られる知見を①に返していくような研究をしていきたいと考えています。

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